山田洋二監督は「寅次郎のサラダ日記」の撮影に母校の東大ではなく、早稲田のキャンパスを選んだ。「寅さんがフラッと現れたっておかしくない大学って、昔から門がなくて、地域に開かれたここ早稲田だ」と。 |
事態を打破するために「社会人に開かれたアメリカの大学を視察して廻る」大学とは学問を学ぶところであるが、社会を学ぶ場所でもあった。都内の大学が郊外に移転していく風潮のなか、早稲田大学はこの地にあえて留まった。 下宿のおばちゃんに叱られたり、サテンでは授業そっちのけで議論を闘わし、食堂の親父さんに悩みを相談したり。街の人たちと家族のような情を交わして、大人への自覚を培っていく。高田馬場への道沿いの古本屋を覗き、早稲田松竹やパール座などの映画館に通いつめ、学割で飲ませてくれる居酒屋があって、地域文化にひたることが出来た。 フーテンの寅さんがいそうな、下町の人情が漂う学生の街が寂れていこうとしていた。バンカラ学生がかもし出す校風もまた、時代のなかで消え去ろうとしている 1989年 ロサンゼルスUCLA 南カリフォルニア大学USC UCバークレー校 「夏休みのUCLAでは、広大なキャンパス内にある国際会議場で世界中の研究者が集まり、学会やシンポジウムを開いている。宿舎は学生たちが開放したドミトリー(寄宿舎)を使い、ってふうに、社会人に開かれた大学としとして機能しているんです」 かたや、夏枯れで閑散とした早稲田である。 「街に出れば、家族づれがいかようにも楽しめる映画館がいくつもある、卒業生のロバートレッドフォードが映画のレクチャーをしたレストランがある」 目からウロコと再認識にうなずく日々。 これまでそれぞれが抱いていた漠とした思いを、この旅は、ひとつに結び付け、これからの大学のありかた、街のありかたに光をもたらした。一緒に歩調を合わせ、進むべき道が見えてきた。 日本の大学が、社会人の生涯学習の場として、やっと門戸を開き始めたばかりのころだ。 |
団塊世代が大学の街でいったい何が出来るだろう?
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